1 : LingLing ★@\(^o^)/
[ルポ]朝鮮人のルーツを持つ日本人の自分探しの旅 東京、済州/ホ・ジェヒョン記者 
ハンギョレ新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151018-00022245-hankyoreh-kr 30代半ばの日本人青年がしばらく前に自分が「朝鮮人のルーツ」を持っていることを知りました。両親は息子
が日本社会で差別されないように、この事実を隠してきました。父親が自分の家に関するいかなる記録も残
さず亡くなったため、青年は直接自分のルーツを探す旅に出ました。彼は韓国でどのような道のりを経験する
のでしょうか。日本社会で「在日朝鮮人」は何を意味するのでしょうか。平山雄貴氏の旅行に同行しました。

「本人の顔と事情が知られたら、日本でどのような目にあうかわかりません。それでも、報道しても大丈夫で
しょうか?」

「大丈夫です。それはすでに覚悟ができています」

平山雄貴氏(34)に初めて会ったのは、先月18日の夕方、東京都心の新宿の居酒屋だった。職場の同僚
であり、韓国語の通訳をしてくれるホ・ミソン氏(39)も一緒だった。雄貴氏は大阪で生まれ育った日本人だ。
彼は約3年前、偶然、彼のルーツが実は朝鮮にあることを知った。祖父は日本植民地時代に済州島から日
本に渡った人だった。祖父と父親が共に他界しており、正確な事情はわからない。雄貴氏は自分の家につい
て詳細に知りたがっていた。すぐに済州島に渡り親戚を探し回る予定だと言っていた。彼はこの過程を記録し
たいと思っているようだった。

■在日朝鮮人6世まで出てくる時代

「私は日本人です。韓日ワールドカップの時も日本が勝つように応援していたし、それが私の当然の姿でしょう。
しかし、私のルーツが朝鮮ということを知った以上、それを隠して生きる理由もありませんよね。私の祖父はどん
な人だったのか、なぜ日本に来たのか、何を経験したのか、すべてを知りたいと思います。もし私のような人の
事情が知られたら、私のように朝鮮がルーツであることを知らずに生きている他の『在日』(日本の植民地支配
の結果など、様々な理由で日本に滞在している朝鮮人や韓国系永住者など)が自分を受け入れるのに、前
向きになるのではないしょうか? 」

理路整然で迷いのないゆうき氏の答えからは、長い間自分のアイデンティティについて悩んできた痕跡が見られ
た。彼は3年以上も自分のルーツについて悩んだ。彼は最後の勇気を絞って答えを見つけようとしていた。雄貴
氏は在日朝鮮人3世だ。彼はかならず自分のようにアイデンティティの混乱にぶつかる人たちが他にもいるはず
だと言った。最近は、在日朝鮮人6世まで生まれている。

居酒屋に入る前は霧雨が降っていたのに、話を終えて出てくると晴れていた。ゆうき氏は平和運動団体「ピース
ボート」の職員だ。丁度その日、日本の与党が平和憲法を無力化する安全保障法案の国会通過を強行し
ようとした。雄貴氏は友人であるホ・ミソン氏と共に国会前まで行ってデモに参加し、真夜中に帰宅した。彼らと
は30日、済州で再び会う約束をした。別れる時、雄貴氏の後ろ姿を見た。普通の日本人よりも背も高く、大
柄だった。

(>>2以降につづく)

2 : LingLing ★@\(^o^)/
(>>1のつづき)

現在、日本には60万人の在日同胞が住んでいると推定される。ほとんどが日本の帝植民地時代に日本に渡
った人たちとその子孫だ。朝鮮人の日本行きは1920年から本格化した。1940年代初頭には200万人以上の
朝鮮人が大阪や京都、東京などの大都市周辺に部落を成していた。ほとんどが朝鮮半島南部と済州地域
からきた肉体労働者たちだった。自発的な移住者もいたが、日中戦争勃発後の1939年から1945年の間に、
軍需産業に不足した労働力を埋めるために、強制移住された人たちが多かった。1945年の解放後、在日朝
鮮人は大挙本国に帰国し、滞留者が60万人規模に縮小した以降、現在に至っている。一部は、済州4・3
事件と韓国戦争などで発生した社会的対立から逃れるように、解放以後、日本に渡った。

在日同胞の国籍は複雑だ。在日同胞は大きく、朝鮮籍保有者、韓国国籍所持者、日本国籍所持者の三
つの部類に分けられる。韓国国籍所持者は、韓国国民と同じような意味だ。朝鮮籍保有者は、過去、朝鮮
民族の一員であることを意味する。国籍というより民族的な帰属を示す記号だ。亡国朝鮮の子孫であること
を自任する理由は、南北の分断を認めず、かといって祖国を侵略した日本国民になることも拒否するという意
志の産物だ。彼らは特別永住権を与えられ、日本で暮らしているが、参政権など様々な面で厳しい意社会
的な制約を受けている。日本国籍所持者は、日本に帰化した人のことをいう。1990年代に入って韓国国籍
が朝鮮籍より多くなり、日本>韓国>朝鮮(国)籍の順で在日同胞の割合が定着し始めた。

在日朝鮮人は、単に在日同胞を指す言葉ではない。朝鮮籍や日本籍、韓国籍にかかわらず、民族性を維
持して生きていこうという在日同胞全体を総称する一種の社会政治的含意が込められた用語だ。 「在日朝
鮮人」が「朝鮮人」と呼ばれ、あらゆる蔑視と共に生きていることは周知の事実だ。朝鮮学校(親北朝鮮性向
の在日本朝鮮人総連合会が運営する在日同胞の学校。ただし、韓国籍や北朝鮮籍、朝鮮籍の在日同胞
の子どもたちが一緒に通う)に通う生徒は制服で主に韓服を着るため、同じ年頃の日本人学生たちにからかわ
れたり、絡まれることも少なくない。 2010年、日本の文部科学省が外国人学校を含む日本国内のすべての
高校で無償教育を始めたが、朝鮮人学校は依然としてその対象から排除されている。

雄貴氏は自分を日本人だと思って育った。韓国語はまったく分からず、同年代の日本の若者たちのように韓国
という国に興味がなかった。「日本軍慰安婦」問題が時々マスコミに出てくるため、「考えるだけで頭が痛くなる
国」という程度が韓国に対するイメージだった。

(つづく)

40 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
>>2
植民地時代と思っていること自体、日本にいるべきではない。
韓国人は死ぬまで嘘をつく

51 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
>>2
韓国では、90%以上でも一部と言ったり
外国籍でも韓国人っていうの?

3 : LingLing ★@\(^o^)/
(>>2のつづき)

自分を日本人だと思って育った 
平山雄貴氏は自分のルーツを 
後になって気づき、母親を問い詰め 
両親が帰化したという告白を受けた 
彼はより多くの事実を知りたい思いで 

3年間外務省に通って資料を収集し 
祖父の本籍が済州ということと 
知らなかったいくつかの家族関係も調べた 
遂に済州行きの飛行機に乗った 
親戚を探しに役場を訪れた

■母は言った、「あなたにその気持ち分かる?」

在日朝鮮人に対する差別を目撃する瞬間も、彼は日本人だった。両親は、ただ一度も彼に家のルーツを説
明してくれなかった。かえって雄貴氏が父親(平山ひろし、1947年生まれ)から聞いたのは在日朝鮮人に対す
る差別発言だった。 「父は私が勉強をしたがらないと「この『朝鮮人みたいな奴』という意味の差別用語を聞か
されました。その時は、それが何を意味するのか正確にわかりませんでしたが、誰かを卑下する言葉というのは
分かりました」。雄貴氏は父が意図的に朝鮮人に対する差別用語を使って、自分を叱ったと思っている。

雄貴氏が在日朝鮮人であることを初めて知ったのは、2012年2月、いとことの会話からだった。雄貴氏は大阪
から東京に遊びに来たいとこに都内を案内した。新宿近くの韓国人密集地域である「新大久保街」でトッポッ
キを買って食べた。雄貴氏はただ東京にも大阪の「鶴橋」のように韓国人村があることを見せたいだけだった。と
ころが、いとこの表情が変だった。

「おい、お前知らないの?」
「何を?」
「俺の家、結構複雑だよ。俺、掃除していたら、お母さんの外国人登録証が出てきた」

いとこの家は、在日朝鮮人の家庭だった。雄貴氏はいとこが朝鮮人なら、もしかしたら、自分の家もそうではな
いかと疑った。そういえば祖母が以前、キムチという食べ物を作ったことがあった。雄貴氏はそれが日本の食べ物
だと思い込んでいたが、実は韓国の食べ物だった。雄貴氏は母親(64)に直接携帯でメッセージを送った。「お
母さん、俺さ、何人?」母はすぐに返事を送ってきた。 「日本人。ところで、本当に知りたくて訊いているわけ?」

雄貴氏は母親の言葉を信じなかった。叔母に電話をかけた。叔母は長いため息をついた。「とうとうその時が来
たのかな?あなたのお母さんに私が言ったと言わないでよ。実は、あなたの家も在日朝鮮人の家庭なんだ。あ
なたの両親はそれを子供たちに知られたくないと思っているの」。雄貴氏は母に再びメッセージを送ったが、母の
答えは同じだった。「日本人だよ」

雄貴氏には在日朝鮮人の友人がいた。翌日、彼に「俺って在日なのかな」と尋ねた。彼の答えは驚くべきもの
だった。「間違いなくそうだと思うよ?名字が平山だからね。おそらく韓国では名字が申(シン)だと思う」。在日
朝鮮人たちは雄貴氏のように韓国の故郷の地名を日本語の漢字に置き換えて名字を作ったり、韓国の名字
の漢字の字画を分解し、似たような日本語の漢字を名字にしてきた。平山(ピョンサン)申氏は、通常、平山
という名字を使っていたという。日本では、名字の数が11万を超えており、一般の人々はそれが在日朝鮮人の
ものなのかどうか、区別するのは難しいが、在日朝鮮人同士は名字を聞くだけでも、ある程度気付くことができ
るという。

雄貴氏は除籍謄本を取り寄せて調べることにした。 3カ月後に書類が自宅に到着した。雄貴氏が3歳までは
外国人だったが、日本に帰化申請が認められた記録が残っていた。両親もこの時一緒に日本国籍を取得した
。彼はすぐに母親が住んでいる大阪に向かった。母親は家で雄貴氏が好きな「お好み焼き」を作っていた。母
親に除籍謄本を突き付けた。「お母さん、これでも俺が日本の人なの?」

(つづく)

150 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
>>137
>>3
>雄貴氏は除籍謄本を取り寄せて調べることにした。 3カ月後に書類が自宅に到着した。雄貴氏が3歳までは
>外国人だったが、日本に帰化申請が認められた記録が残っていた。両親もこの時一緒に日本国籍を取得した。

151 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
あ、
>>3
> 日本に帰化申請が認められた記録が残っていた

じゃあ日本人で良いじゃん、あほくさ

4 : LingLing ★@\(^o^)/
(>>3のつづき)

母親がフライ返しでフライパンを叩き落としながら冷たく答えた。「あなたに名前と国籍だけですべてが決まるその
気持ちが分かる?」。母親は料理を止め、酒を取り出して飲み始めた。雄貴氏はこの日、母親が酒を飲む姿
を初めて見た。

「私が初めて肉を食べたのが13歳頃だったのかな。お母さんは大阪のひどく貧しい家で生まれたの。リヤカーを
引いて金属くずを拾い、古物商に売って生活していた。朝鮮人はほとんどそうだったよ。朝鮮学校に通う生徒は
襲撃されたりもした。日本国籍を取りたかったけど、そうしたら、朝鮮人社会でいじめられるから、慎重にやらな
ければならかった。あなたのお父さんも朝鮮人だった。私たちは結婚してから一緒に日本に帰化するのに成功し
た。弁護士費用が本当に高かったよ。帰化が許可された日、私たちは一生子供を日本人として育てることに
決めたの」

後に分かったことだが、母親は流行りの韓流ドラマを日本語字幕なしで見られる人だった。子供の頃は朝鮮学
校にも通っていた。お隣さんと一緒に韓流ドラマを見る時、怪しまれないように時々朝鮮人に対する差別発言
を口にしなければならなかった母親の境遇も理解できるようになった。母親は雄貴氏が子供の頃、誕生日を
祝うために作ったワカメのスープを食べなくて悲しかった話やキムチをおいしく食べてくれて嬉しかった話を打ち明
けてくれた。雄貴氏はその告白を聞いて泣いた。ただ驚いた。

雄貴氏の父親は10年前(2005年9月15日)自ら命を絶った。理由はよくわからない。1999年、雄貴氏の母
親と離婚してから、一人の生活が孤独だったのだろうか。雄貴氏の祖父は、父親が13歳だった1960年に亡く
なった。父は八百屋をしながら、弟と妹の世話をして祖母を支えた。結婚後には7人兄弟を生んで育てた。雄
貴氏はこの3年間、外務省と韓国大使館などに通いながら、資料を収集した。祖父と祖母の本籍は済州市
翰林邑帰徳里だった。1932年、祖父のシン・ソクチュンさんは25歳の時に溶接工として、日本上陸の許可を
受けた事実も分かった。祖父は日本に来る前、済州で前妻との間に4兄妹(1男3女)を設けていたことが明
らかになった。前妻が死んでから日本で再婚し、雄貴氏の父親は後妻との間で生まれた。だから雄貴氏の父
親の異母兄弟が4人もいたのだ。

(つづく)

5 : LingLing ★@\(^o^)/
(>>4のつづき)

■叔母の写真を持って済州をさまよう
彼は16歳の時、1997年の秋、あるお婆さんが自分の家を突然訪ねてきたことがあった。母に聞いてみると、
その人は叔母(父の異母姉妹、現在77歳)だった。「父は彼女が誰なのか、私たちに説明しようともせず、ただ
早く帰そうとするだけでした。後でわかったことですが、彼女は異母弟に会うために済州からあちこちを聞いて回
って訪ねてきたのでした。父親も、叔母が現れるまでは、済州に異母兄弟がいることを知らなかったようでした」

雄貴氏は叔母が訪ねてきた日に撮った家族写真を見せてくれた。ぶっきらぼうな顔で立っている父の隣で、叔
母は弟と手を繋ぎたかっているように、そっと手を伸ばしていた。しかし、父は叔母の手を取らなかった。写真の
中では気まずい雰囲気が流れていた。

「雄貴氏の祖父は解放後、どのような理由で済州に帰らなかっただろうか。自分の家はどのような事情があった
のだろう。もしかして韓国現代史の悲劇に巻き込まれたのではなかろうか」。雄貴氏は、このすべてが気になった
。彼はコツコツと飛行機のチケット代を貯めた。済州に行って直接親戚を探してみることにした。叔母が生きてい
れば、すべての秘密の鍵を開けることができると思った。叔母の連絡先はわからないが、祖父の本籍住所地に
行けば、何かわかるかもしれない。友達のホ・ミソン氏が彼の旅行に同行することにした。

先月30日の夜、雄貴氏とホ・ミソン氏は、済州空港に到着した。翰林邑帰徳里近くの小さなゲストハウスに
荷物を解いて、翌日朝早く翰林邑事務所を訪ねた。職員に日本で取得した書類を見せた。しかし、祖父の
本籍地となっていた「帰徳里1621番地」は、行政区域の改編で、現在は存在しない住所となっていた。雄貴
氏は口をつぐんだ。職員は、親戚が生きているかどうか確認してみると言った。その間に雄貴氏は帰徳里村に
行って叔母の写真を持って叔母を捜し回った。数時間後に役場から電話がかかってきた。「叔母に当たる人を
見つけました」。雄貴氏は役場に走った。

「帰徳里ではなく、今は済州市内に居住していますね」

「今生きておられますって?ああ...!」

雄貴氏の大きな目に涙があふれた。彼は住所地を受け取ってすぐ済州市に向かった。済州の空に立ち込めた
雨雲が今にも海を飲み込むように、真っ黒な巨体を風の中で震わせていた。黙って窓の空を眺めていた雄貴
氏が言った。「ついに本当の私を見つけられますかね?」

(来週に続く)

6 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
偶然の必然なのだ

7 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
何だい?自分探しの旅って、ただの帰国じゃないか・・・!m9('A`)

8 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
よかったな
そのまま母国へ帰れよ
ご先祖も喜ぶだろ?

9 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
自殺もんやな

12 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
北の楽園ボート

13 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
日本人のルーツを調べれば全員朝鮮半島に辿り着く。
その意味では在日コリアンも日本人も家族だよ。

16 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
>>13
お前らのルーツは密入国という犯罪な。

38 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
>>13
遺伝的に別グループなんですが。

56 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
>>38
人種的にも文化的にも遺伝的にも日本人のルーツは朝鮮半島だよ。
だから絆がある。

35 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
いかにも「私は善人」て書き方してるのが不愉快。>>1
おまえら騙されるなよ。

39 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
>>35
基本的に日本人はこの手に弱いからな・・・。

90 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
>>1
長過ぎでまだ続くUSO800

136 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/
>>1
こんな似非日本人が相当数潜伏しているとは…これから結婚する大和民族は要注意だな

元スレ:【ルポ】 「約3年前、偶然、ルーツが実は朝鮮にあることを知った」 日本人青年(ピースボート職員)が、韓国で自分探しの旅[10/18]
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1445168516/