1 : おじいちゃんのコーヒー ◆I.Tae1mC8Y @しいたけφ ★ [] 2013/10/24(木) 19:35:54.94 ID:???0
乳がんを患いながら積極的な治療をせず、昨年五十八歳で亡くなった
渡辺容子さん=東京都杉並区=の終末期を追ったドキュメンタリー映画
「いのちを楽しむ−容子とがんの2年間」が今夏から各地で上映されている。
自ら考え、がん“放置”を選んだ女性の姿を通じ、人の生き方、死に方を見つめる。(山本真嗣)
映画では余命一年の宣告から、亡くなるまでの二年間を追った。
がんが見つかったのは一九九四年、四十歳のとき。主治医は「患者よ、がんと闘うな」(文芸春秋)著者で、
慶応大病院の近藤誠医師。「ほとんどのがんに手術や抗がん剤の治療は効果がなく、
早期発見、早期治療に意味はない」と主張する近藤医師に共鳴した。
がんは徐々に大きくなり、皮膚を破る恐れがあったため、六年後にがんだけを
除去する乳房温存手術を受けた。その後、全身への転移が分かり、放射線とホルモン療法で
痛みを抑える方法を選んだ。「長くだらだら生きるより、短くても楽しく生きたい」と
渡辺さんは映画の中で語っている。
経過観察を続けながら、学童保育職員の仕事をしばらく続け、旅行にも出掛けた。
全身転移後も普通に生活し、治療体験録を発行したり、パーティーに参加したり。
母親もみとった。古里の福島県を思い、「できることを」と反原発集会にも駆け付けた。
現代医療への懐疑心から何冊も本を読み、医師に質問し、治療法は全て自分で選んだ。
「人生は自分が自分の主人公でいられることが大事。主治医も自分」
だが、現実は容赦ない。最後の数カ月はほぼ寝たきりで、
全身の骨に転移したがんの痛みに苦しむ。「死ぬまでには大変な苦労がいる」といい、
衰弱していく渡辺さんを、カメラは克明に記録する。
それでも、みとった妹の越子さん(57)は「やりたいことをやり通した姉は、幸せだった」と振り返る。
ttp://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2013101702000167.html
2 : 名無しさん@13周年 [sage] 2013/10/24(木) 19:36:21.56 ID:hVtgzn+80
ガーーーーーン
3 : 名無しさん@13周年 [sage] 2013/10/24(木) 19:40:15.15 ID:G6c15mF+0
40歳の時、全摘してしまえば問題なかったのではないの。
4 : 名無しさん@13周年 [] 2013/10/24(木) 19:42:34.78 ID:uvE4TmMj0
抗がん剤は僅かな有益性を示せれば承認通るからな
完治にはまだまだまだまだ遠い